大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成3年(ワ)6684号 判決 1992年1月24日

原告

坂本坦

ほか一名

被告

住友海上火災保険株式会社

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らそれぞれに対し、六八三万一〇〇〇円及びこれに対する平成元年一二月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  保険契約の締結とその内容

(一) 原告坂本坦は、被告との間において、自家用自動車保険普通保険約款(以下「本件第一約款」という。)に基づき、次のとおりの内容を含む自動車保険契約を締結した。

(1) 搭乗車傷害条項に基づく死亡保険金の支払

保険者は、被保険自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者(被保険者)が被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被り、その直接の結果として、事故の発生の日から一八〇日以内に死亡したときは、保険金額の全額を死亡保険金として被保険者の相続人に支払う。

(2) 被保険自動車

原告坂本坦所有の普通常用自動車(相模五二の五六七一。以下「本件自動車」という。)

(3) 保険期間

平成元年九月二日から平成二年九月二日まで

(4) 保険金額

一〇〇〇万円

(二) 原告坂本坦の勤務する日本電気株式会社は、被告との間において、交通事故傷害保険普通保険約款(以下「本件第二約款」という。)に基づき、次のとおりの内容を含む交通事故団体傷害保険契約を締結したが、同原告はその個人加入者である。

(1) 死亡保険金の支払

保険者は、運行中の交通乗用具に搭乗している被保険者が急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被り、その直接の結果として、事故の日から一八〇日以内に死亡したときは、保険金額の全額を死亡保険金として死亡保険金受取人(死亡保険金受取人の指定のないときは、被保険者の法定相続人)に支払う。

(2) 被保険者

坂本章(以下「章」という。)

(3) 保険期間

平成元年一〇月二六日から平成二年一〇月二六日まで

(4) 保険金額

三六六万二〇〇〇円

2  保険事故の発生

(一) 平成元年一二月二四日午前二時三五分ころ、章が、本件自動車を運転して神奈川県相模原市千代田所在の道路(以下「本件道路」という。)を国道一六号線方面から同市横山方面に向けて進行していたところ、同市千代田四丁目一番地先付近(以下「本件事故現場」という。)において、鴫原淳一(以下「鴫原」という。)の運転する普通乗用自動車(以下「鴫原車」という。)に左後方から衝突された(以下「本件事故」という。)。

(二) 章は、本件事故により負傷し、同日午前三時五八分ころ、神奈川県相模原市北里一丁目一五番一号所在の北里大学病院において、右負傷を原因として死亡した。

3  保険金請求権の取得

原告らは章の父母であり、章の相続人として、各二分の一の割合で右1の死亡保険金の請求権を取得した。

4  よつて、原告らは、被告に対し、それぞれ六八三万一〇〇〇円及びこれに対する平成元年一二月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(保険契約の締結とその内容)の事実は認める。

2  同2(保険事故の発生)の事実中、本件事故の態様は知らないが、その余は認める。

3  同3(保険金請求権の取得)の事実中、原告らが章の父母であり、章の相続人であることは認めるが、その余は争う。

三  抗弁

本件第一約款の第四章二条一項二号には、「被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転しているときに、その本人について生じた傷害については、保険金を支払わない」との免責規定があり、また本件第二約款の五条一項一号にも、「被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で自動車を運転している間に生じた事故によつて被つた傷害に対しては、保険金を支払わない」との免責規定がある。

章は、本件事故当時、血中一ミリリツトルにつき一・八六六ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態(平成三年六月二八日付調査嘱託の結果による。)で本件自動車を運転し、酒に酔つて運転操作を誤つた結果、路外左側の街路樹と電話柱に衝突して本件事故に至つたものである。したがつて、被告は、右各規定により、章の死亡について死亡保険金の支払を免責されるものである。

四  抗弁に対する認否

争う。

被告は、平成三年六月二八日付調査嘱託の結果に基づいて、章が血中一ミリリツトルにつき一・八六六ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態で本件自動車を運転していて本件事故に至つたものであると主張するが、血中アルコール濃度に関する右数値は、章及び原告らのなんらの承諾がなく、かつ、刑事訴訟法に定める令状主義に従うことなく採取された血液に基づいて算出されたものであり、右採血の過程には、章及び原告らの自己決定権を侵害した重大な違法があるというべきである。したがつて、平成三年六月二八日付調査嘱託の結果には証拠能力がなく、かつ、信用性もないものというべきである。

第三証拠

証拠の関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一1  請求原因1(保険契約の締結とその内容)の事実及び同2(保険事故の発生)の事実のうち本件事故の態様を除く部分については当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第三号証、同第四号証の一、二及び証人小峯道夫の証言を総合すれば、本件事故に至る経緯、本件事故の態様等は次のとおりであると認めることができる。

(一)  章は、本件事故のあつた日の前日の平成元年一二月二三日午後一〇時ころ、友人の小峯道夫(以下「小峯」という。)及び佐藤英明(以下「佐藤」という。)と共に、居酒屋でビールを飲みながら食事をした後、本件自動車に乗つてカラオケボツクスに行き、そこでもウイスキーの水割りを飲みながら歌を唄つたりして過ごし、同月二四日の午前になつてから帰路についた。

(二)  その後、章は、本件自動車の助手席に小峯を、後部座席に佐藤を乗せて本件自動車を運転し、鴫原の運転する普通乗用自動車に追従して、本件道路を国道一六号線方面から相模原市横山方面に向けて制限速度の毎時四〇キロメートルを超えるかなり速い速度で進行していたが、本件事故現場に差しかかり、先行する鴫原車を追い越すべく、同車の右横を通過してその進路前方に戻ろうとしたところ、本件自動車の車体が突然左方向に回転し始め、本件自動車は進行方向左側の路外にあつた街路樹及び道路標識に衝突したのち電話柱に衝突して停止し、また鴫原車は同じく進行方向左側の路外にあつた街路樹に接触したのち進行方向右側の歩道直前に至つて停止した。

なお、本件事故現場付近には、本件自動車のものとみられるタイヤ痕が右側四九・〇メートル、左側四二・三メートルにわたつて残されており、また鴫原車のものとみられるスリツプ痕が右側二九・九メートル、左側二八・四メートルにわたつて残されていた。

(三)  本件事故後、章は、本件自動車が停止していた付近の路上に意識を失つてうつ伏せに倒れており、救急車で同市北里一丁目一五番一号所在の北里大学病院に搬送されたが、同日午前三時五八分ころ、交通事故に基づく多発外傷を原因とする肺裂傷、外傷性シヨツクにより死亡した。

2  右1で認定した事実によれば、章は、本件自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中、同車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被り、その直接の結果として、事故の発生の日から一八〇日以内に死亡したものと認めることができる。

二  そこで被告の抗弁について判断することとする。

1  いずれも成立に争いのない乙第一、二号証によれば、本件第一約款の第四章二条一項二号には、「被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転しているときに、その本人について生じた傷害については、保険金を支払わない」との免責規定があり、本件第二約款の五条一項一号には、「被保険者が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で自動車を運転している間に生じた事故によつて被つた傷害に対しては、保険金を支払わない」との免責規定があることを認めることができる。

2(一)  いずれも成立に争いのない甲第五号証、乙第五、六号証及び平成三年六月二八日付調査嘱託の結果によれば、章は、北里大学病院に搬送された後、人命救助の目的(点滴路確保及び採血の目的)のもとに緊急治療行為の一環として、アルコール成分を全く含まないポピドンヨード液による消毒下に、アーガイルメデイカツトカテーテル16Gを用いて左鎖骨下の上大静脈から血液を採取され、これを検体として血中アルコール濃度の測定検査を受けたが、その結果、血中一ミリリツトルにつき一・八六六ミリグラムのアルコールが検出されたこと、アルコール濃度が血中一ミリリツトルにつき一・五ミリグラムから二・五ミリグラム(〇・一五パーセントから〇・二五パーセント)のときには、その者は、ほとんど不快感を伴わないめまいがあり、極めて快活、有頂天となつて、運動失調が容易に周囲の人にも気付かれる状態となり、感覚、特に痛覚が鈍麻し、手に持つた物を落としたり、傷を受けても気が付かず、注意散漫となつて判断能力が鈍り運転事故は必発であること、を認めることができる。

(二)  右(一)で認定した章の血中アルコール濃度と前示認定の本件事故に至る経緯、本件事故の態様等を総合すれば、本件事故は、章が酒に酔つて正常な運転ができないおそれがある状態で本件自動車を運転している間に生じたものといわざるをえないから、被告は、右各免責規定に基づいて、章の死亡につき死亡保険金の支払を免れるものといわなければならない。

3  原告らは、平成三年六月二八日付調査嘱託の結果における血中アルコール濃度に関する数値は、章及び原告らのなんらの承諾がなく、かつ、刑事訴訟法に定める令状主義に従うことなく採取された血液に基づいて算出されたもので、右採血の過程には、章及び原告らの自己決定権を侵害した重大な違法があるから、右調査嘱託の結果には証拠能力がなく、かつ、信用性もないと主張する。

なるほど、前掲甲第五号証によれば、北里大学病院において医師が章から採血をするにあたつては、章及び原告らの事前の承諾がなかつたことが認められるが、治療行為を行うために患者の現実的同意を得ていたのでは、その生命・身体に重大な危険がある場合には、医師としては、患者の推定的意思に反しない限り、適法に相当な医療行為をなしうるものと解するのが相当であるところ、前示認定の事実関係、すなわち、意識不明の状況下にある章から人命救助の目的のもとに緊急治療行為の一環として行われた右採血は、その手段・方法に照らし、章の推定的意思に反するものではないといわなければならないし、また右採血が捜査機関の依頼によるものでないことも明らかであるから、刑事訴訟法に定める令状主義の適用もなく、結局、右採血行為になんらの違法はないというべきである。

したがつて、右の採血行為の違法を前提として平成三年六月二八日付調査嘱託の結果の証拠能力を否定する原告らの主張は失当であり、また同調査嘱託の結果の信用性についても特に問題とすべき点を見出すことはできないから、原告らの右主張を採用することはできない。

三  以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主分のとおり判決する。

(裁判官 石原稚也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例